通説 ─ こんな話、聞いたことありませんか?
「今日は大潮だから江戸川は荒れるよ」
「満月の夜は逆転決着が多い」
「春の海水場は 1 号艇が飛ぶ」
競艇場で、SNS で、先輩から、耳にする「季節と潮の話」。気持ちはわかる。月と潮汐は物理的に連動してる。大潮の日は満干差が最大になって、海水場の水面は確かに変わる。理屈として影響しても不思議じゃない。
でも「理屈として有り得る」と「実際に起きている」は別の話。
そこで BOATCRAFT 編集部は 2016 年から 2025 年までの 10 年分、394,418 レース を総ざらい。「季節 × 潮 × 着順」を統計的に検証した。結論を先に言うと:
「大潮で荒れる」「潮で勝率が変わる」は、10 年分のデータには現れない。
検証の準備 ─ 水質分類・月齢・統計検定
1. 24 場を「水質」で分類
潮の影響を受けるのは海水・汽水場だけ。まず全 24 場の水質を整理した。
| 水質 | 場数 | 会場 |
|---|---|---|
| 海水 | 10 | 平和島 / 常滑 / 鳴門 / 丸亀 / 児島 / 宮島 / 徳山 / 下関 / 若松 / 大村 |
| 汽水 | 5 | 江戸川 / 浜名湖 / 蒲郡 / 津 / 福岡 |
| 淡水 | 9 | 桐生 / 戸田 / 多摩川 / 三国 / びわこ / 住之江 / 尼崎 / 芦屋 / 唐津 |
※ 注: 江戸川は「川」だが、河口近くで東京湾の海水が逆流するため 汽水 (感潮域)。蒲郡は三河湾だが汽水分類、津は伊勢湾だが汽水分類。唐津は河口近くだが上流側プール式で淡水。本検証では全 24 場の水質を 1 つの統一基準で分類している。
2. 月齢 (大潮・中潮・小潮) を計算
天文学的な synodic period (29.53 日) に基づき、新月・満月・上弦・下弦を算出。
- 大潮: 新月または満月の前後 2 日
- 中潮: それ以外
- 小潮: 上弦または下弦の前後 2 日
394,418 レースを分類すると、大潮 106,913 / 中潮 180,052 / 小潮 107,453 となった。
※ 分類について: 標準的な日本の潮汐分類は「大潮 / 中潮 / 小潮 / 長潮 / 若潮」の 5 段階だが、本検証では「大潮 vs 小潮」の二値比較に焦点を当てるため、長潮・若潮はサンプル数確保のため中潮にまとめた 3 分類で集計している。
3. 統計的検定
帰無仮説 H0: 大潮と小潮で 1 号艇勝率に差はない。これを 2-sample 比率検定 (z-test) で検定する。p 値 < 0.05 なら「差があると断言できる」、0.05 以上なら「偶然と区別できない」。
検証 1: 大潮 vs 小潮 (水質別)
全 10 年・394K レースで水質別に大潮 vs 小潮の 1 号艇勝率を比較した結果:
| 対象 | 大潮 | 小潮 | 差 | p 値 | 判定 |
|---|---|---|---|---|---|
| 海水場 全体 (n=99,150) | 51.89% | 52.01% | −0.12pp | 0.706 | 差なし |
| 淡水場 全体 (n=80,100) | 49.49% | 49.39% | +0.10pp | 0.776 | 差なし |
差、たった 0.1pp。1,000 レースやって 1 回違うかどうかのレベル。p 値も 0.7 以上と、偶然の揺れと完全に区別がつかない数字。
解説: 統計では p<0.05 が「有意差あり」の目安。p=0.7 というのは「10 回中 7 回はこれくらいの差が偶然でも出る」という意味で、とても「潮の効果」と呼べる水準ではない。
検証 2: 江戸川 / 鳴門 / 児島 単独検定
全体平均だと潮の影響が薄まるかもしれない。そこで 江戸川だけ、鳴門だけ (瀬戸内海の激しい潮流)、児島だけで個別に検定した。
| 場 | 大潮 | 小潮 | 差 | p 値 | 判定 |
|---|---|---|---|---|---|
| 江戸川 (n=7,991) | 43.38% | 42.76% | +0.62pp | 0.574 | 差なし |
| 鳴門 (n=8,462) | 45.36% | 45.52% | −0.16pp | 0.884 | 差なし |
| 児島 (n=8,930) | 51.92% | 52.79% | −0.87pp | 0.414 | 差なし |
江戸川ですら p=0.57。競艇界で「一番潮が効く」と言われる場で、10 年のデータを見ても 通説を支持する証拠は出なかった。
「じゃあ月齢予想は全部ウソ?」 ─ いや、そう単純じゃない
ここで誤解を避けたいのだが、「差がない」と「絶対に差がない」は別の話。
統計的に言えるのは:
- 10 年 40 万レースという大量データで検定しても、偶然の揺れを超える効果は検出されなかった
- つまり、潮の影響があったとしても、現行データで有意性が出ないほど小さい
逆に言えば、1 日 10 レースとかの単位では、偶然のブレで「潮が効いたように見える」ことはよくあるということ。たまたま大潮の日に荒れると「やっぱり潮だ」と記憶に残るが、小潮でも同じ確率で荒れている。経験則は、ノイズを有意な信号だと勘違いしやすいという認知バイアスの典型例と言える。
副次発見: 7 月の海水場 1 号艇 +4.20pp
潮の検証では通説を否定する結果だったが、月別に見ると もう一つ面白い発見があった。月ごとの「海水場 vs 淡水場」の 1 号艇勝率差:
| 月 | 海水場 | 淡水場 | 差 |
|---|---|---|---|
| 1 月 | 51.44% | 49.18% | +2.27pp |
| 3 月 | 53.31% | 50.29% | +3.02pp |
| 5 月 | 53.18% | 49.24% | +3.94pp |
| 7 月 | 51.80% | 47.61% | +4.20pp ⭐ |
| 9 月 | 51.05% | 49.25% | +1.80pp |
| 12 月 | 51.52% | 50.83% | +0.69pp |
7 月は、海水場の 1 号艇が、淡水場より +4.20pp も勝率が高い。これは潮ではなく、気温・水温・水面の相互作用の可能性がある。夏の海水場は (塩分による浮力で) 軽量選手を後押ししつつ、波が穏やかで内側が有利に働く、といった複数要因の合わせ技。第 2 弾以降で深掘り予定。
結論 ─ 通説「潮で着順変動」は、データには出ない
✅ わかったこと
- 大潮・小潮で 1 号艇勝率に統計的有意差はない (p > 0.4)
- 江戸川ですら潮別差は 0.6pp 程度、偶然の範囲
- 「海水場は淡水場より 1 号艇が強い」の基本差は存在 (+2〜+4pp、通年)
- 夏 (特に 7 月) の海水場は 1 号艇優位が最大 (+4.20pp) → 次回以降で深掘り
❌ 数字にならなかったこと
- 「大潮だから荒れる」
- 「満月の夜は逆転決着」
- 「小潮だから堅い」
BOATCRAFT の予想モデルでの扱い
- 月齢特徴量は 追加しない (統計的効果なしのため)
- 潮位特徴量も 追加しない (同上)
- 「海水 / 淡水」の基本差は既に 場のクラスタ分類で吸収済み
- 夏の海水場バイアスは次回検証次第で、月 × 水質の相互作用特徴量として追加検討
つまり、アプリに「大潮だから 1 号艇が危ない!」みたいな表示を入れる予定はない。根拠のない情報でユーザーを誤誘導しないため。
検証データ: 2016-01-01 〜 2025-12-31、394,418 レース (BOATCRAFT データベース) / 月齢計算: 天文学的 synodic period 29.530589 日 / 統計検定: 2-sample proportion z-test / 最終更新: 2026-05-24